プロフィール
国士舘大学体育学部体育学科を卒業後、スポーツクラブ勤務を経て、アメリカで経験を積み、パーソナルトレーナーとして独立。子供(キッズ)・一般成人男性、女性・アスリート・芸能人・モデルのパーソナルトレーニングを手掛ける一方、大学や専門学校の講師、ゲームソフト任天堂「Wii Fit」「リングフィットアドベンチャー」のトレーニング監修、東京2020オリンピック メディカルスタッフをはじめ、幅広く活躍。著書は27冊。テレビなどの多数のメディアにも出演。
勤務先乃木坂 Matsui Physical Design Lab.主宰
柔道整復師を選んだ理由
予防の段階から
ケガ直後の処置まで
携わることができる
大学の体育学部で学んだのは体育学や運動学でした。例えばラグビーでタックルを受けて腰を痛めた場合、アイシングまでは行いますが、その後どのように経過観察を行い、完治までどんなプロセスを踏むのか、さらに再び痛めにくい体にするためにはどんなアプローチをするのかといったところまでは学べませんでした。そこまで関わることができるのが柔道整復師です。理学療法士の資格も考えましたが、理学療法士は医師の指示のもと、ケガをした後のリハビリテーションを行う役割が中心です。
一方、柔道整復師は予防の段階からケガをした直後の処置まで携わることができる点に魅力を感じました。大学で学んだ知識、パーソナルトレーナーとしての経験、そして柔道整復ならではの医療の知識と技術を身につけたことで、医学的根拠に基づく「メディカルフィットネス(医療とトレーニングの融合)」を掲げたジム&整骨院の開業につながりました。理論と技術に裏打ちされた体づくりから治療まで、一貫したスポーツ医科学パーソナルトレーニングを行っています。
日本医専に入学したきっかけ
お客様に
長く通ってもらうために
医療の知識が必要。
大学の体育学部を卒業後、スポーツトレーナーを目指してスポーツクラブに就職しました。大学では体育教師を志していましたが、運動が苦手な人と向き合い、体を動かすことを好きになってもらえる仕事がしたいと改めて考え、トレーナーの道を選びました。アメリカ・ロサンゼルスのトレーニングセンターで経験を積んだ後、パーソナルトレーニングジムを立ち上げ、現在に至ります。
パーソナルトレーナーとして32年間続ける中で、長くお付き合いしているお客様も多くいらっしゃいます。20代だった方が30代、40代になり、40代だった方が50代、60代、70代へと年齢を重ねていくと、医療的な疾患が出てくることもあります。また、アスリートや芸能人、モデルなどのお客様も多く、舞台でヒールを履いて動き回ることで腰を痛めてしまうといった相談もあります。そうしたお客様に信頼され、長く通っていただくためには何が必要かと考えたとき、医学・医療の知識が必要だという結論に至り、柔道整復師を目指しました。日本医専に入学したのは40歳のとき。授業料を自分で払えるくらいの収入を得られる年齢になったら、もう一度学び直したいと以前から考えていましたが、私にとって40歳は、まさにそのタイミングでした。
日本医専で良かったこと
実技を学ぶ機会の多さが
立ち上げたジムで
すぐに活かされた
日本医専在学中は、日中は南青山のスポーツクラブで正社員トレーナーとして働き、仕事を終えてから登校、授業が終わるのは21時過ぎという生活でした。自宅も学校から近いわけではなく、働きながら通うのは大変でしたが、それでも日本医専を選んだのは、当時、水泳選手のオリンピック強化チームで体のメンテナンスに携わっていた方が日本医専で教えているなど、ここで学びたいという強い思いがあったからです。
実際に入学して、この学校を選んで正解だったと思いました。包帯やテーピングをはじめ、実技を学ぶ機会が非常に多く、卒業後に自分のジムを立ち上げた際も、すぐに現場で使える技術が身についていました。また、資格の実技審査に向けて柔道の授業があり、礼法をきちんと学べたこともとても良い経験でした。柔道の技そのものというより、体の使い方を学べたことで、お客様にストレッチを行う際の体重の乗せ方などにも活かされています。
仕事で感動したこと
自分のことを
信じて頑張ってくれた
お客様がいる
パーソナルトレーナーとして多くのお客様と関わる中で、感動する出来事がたくさんありました。60代の女性のお客様は、階段を自力で上がれないほどの腰痛を抱えていました。病院では脊柱管狭窄症と診断され、さまざまなリハビリを試しても効果がなく、医師からは「これからも付き合っていくしかない」と言われていたそうです。途方に暮れていたとき、たまたま私が出演した「徹子の部屋」を見て、私が12歳のときに椎間板ヘルニアと腰椎分離すべり症を同時に発症しながらも、手術をせず筋肉を強化することで痛みを克服した話を聞き、「この人と一緒に頑張りたい」と思ったそうです。
最初はジムのある2階まで階段を上がることができず、毎回肩を貸していましたが、少しずつトレーニングを重ね、1年以上かけて自力で階段を上がれるようになりました。その後もどんどん改善し、筋トレ自体にも夢中になり、カナダに住む娘さんを訪ねた際には、娘さん夫婦の趣味であるロッククライミングまで一緒に楽しんだそうです。階段さえ上がれなかった方がそこまで回復されたことを思うと、「よくここまで信じて頑張ってくれましたね」という言葉が自然に出て、思わず涙が出ました。
トレーナーとしてのこだわり
お客様のために
できることを
徹底して追求する
パーソナルトレーナーになってからずっと、お客様のために何ができるかを追求し続けています。例えば、芸能関係のお客様から「ステージ映えする体づくり」という依頼をいただいたときは、その要望に応えるための知識と技術を身につけるため、自らボディビルを始めました。まずは自分自身が「ステージ映えする体」になろうと考えたのです。その結果、東京都ボディビル選手権大会70kg級で3位に入賞しました。
また、ボートレーサーから依頼があれば船舶免許を、オートレーサーから依頼があれば大型バイク免許を取得し、その競技に必要な筋肉や体の使い方を自分自身で研究してきました。入賞したことも、免許を取得したことも、お客様からの信頼につながります。お金をいただく以上、そこは徹底したいと思っています。柔道整復師という国家資格を取得したのも同じ理由です。もともと持っていたパーソナルトレーナーの国際ライセンスに加え、医療系の国家資格を得たことで、より責任を持ってお客様の体と向き合えるようになりました。
これからのビジョン
柔道整復の本質とは?
再び自分のために
学んでいきたい
これまでパーソナルトレーナーとして活動する一方で、パーソナルトレーナー専門の国際ライセンス付与協会「NESTA JAPAN」の理事や大学・専門学校の講師を務め、日本医専でも講習を行うなど、後輩の育成にも力を入れてきました。55歳になった今、一つの区切りを迎えたと感じています。これからは自分のために、もう一度学びたいと考えています。予定しているのは柔道を改めて学び直すこと。礼法や体の使い方など、日本医専の授業で学んだことがとても印象に残っているからです。資格試験のためではなく、自分自身のために学び直したい。そもそもなぜ「柔道整復師」に「柔道」という言葉が入っているのか——その本質を、これから探していきたいと思っています。
これから国家資格を目指すミドルシニアの方へ
学び直すことには
多くの気づきがあり、
活力をもらえる
私は40歳で日本医専に入学して、「人生百年時代」の半分ほどを生きた人が学び直すことには大きな意味があると実感しました。その年齢になると、会社にも人生にも慣れ、初心を忘れてしまいがちです。時には横柄になってしまうこともあるかもしれません。自分が再び学生の立場になり、先生から学ぶという経験は、本当に多くの気づきがあり、活力ももらえます。まさに、自分が自分であり続けるための学び直しだと思います。
40代、50代で国家資格に挑戦するというのは、本当に覚悟が必要なことだと思います。「手に職をつける」だけであれば、整体スクールなど別の道もあります。1、2カ月通い、民間資格を取得すれば整体師として働くこともできます。しかし国家資格は、3年間という時間をかけて学び、国家試験に合格して初めて手にできるものです。それだけ大きな挑戦だからこそ、その年齢で入学する人たちは本当に覚悟を持っている人たちです。だからこそ日本医専には、人生をかけて挑戦してくるミドルシニアの学生をこれからも支え続けてほしいと思います。そして挑戦しようとしている皆さんには、「今だからこそできる挑戦」だということを伝えたいです。